【ヨーヨープレイヤー紹介#004】スティーブ・ブラウン (Steve Brown)

ヨーヨープレイヤー紹介ブログ。
第3回のラッキー・リー選手の次は、CLYWのスティーブ・ブラウン氏です。

Photo by ©cleveland2019.com

■スティーブ・ブラウン (Steve Brown)

フロリダ州ジャクソンビル出身のアメリカ人。1976年2月20日生まれ。ヨーヨープレイヤー/デモンストレーター/プロモーター/ジャッジ/オーガナイザーなど様々な立場で現代ヨーヨーの礎を築いたヨーヨー界の重鎮とも呼べる人物です。BACチャンピオン。ナショナルヨーヨーマスター。カウンターウェイト考案者。クリーブランド開催時の世界大会主催者。YoYoNews.comの共同設立者兼編集者。トリプルクラウンオブヨーヨー(大会)共同設立者。365yoyotricks発足・運営…など、肩書きだけで数多くあり、それだけでも、いかにヨーヨー界に貢献してきたかが伺えます。特に、自身が考案した「カウンターウェイトスタイル」をメジャーなものにし、5A部門創設というひとつの部門化にまで押し上げた人物として有名で、「スティーブと言えばカウンターウェイト」というイメージが強い人も多いはず。

古くはチームロッシ(アメリカのヨーヨーブランド/現在は活動終了)のプロモーターとして2年程活動したり、インフィニット・イリュージョン(アメリカのヨーヨーショップ/現在は閉店)で働く傍パフォーマーとしても飛び回り、ヨーヨーの「プロ」としての生活を送ります。そして、1999年9月1日から2006年4月13日まで、ダンカンの公式デモンストレーターとしてマーケティングとプロモーションを担当していました。全米中、そして世界中で活動し、当時のダンカンクルー(現チームダンカン)を率いていたダンカンの顔とも言える存在でした。また、フリーハンドをはじめ、数々のヨーヨーの開発にも携わってきました。ダンカン時代に日本への来日経験もあります。

ダンカンを去ったあとはヨーヨーファクトリーからスポンサーを受けながら活動の幅を広げ、上記に挙げたようなプロジェクトを次々と始めていきます。2003年のBAC(ベイエリアクラシック)で優勝(目隠しをした状態でのカウンターウェイトフリースタイル)したのを最後に競技プレイヤーとしては引退していましたが、2007年世界大会AP部門に突如出場し、フリフリのスカートを履いた演技が大きな話題に。それから10年後、2017年の世界大会40歳以上部門では優勝に輝いています。現在はヨーヨーファクトリーからCLYWに移り、オハイオ州クリーブランドに居を構え、子育てをしながらCLYWのマーケティングディレクターとして仕事を任されています。

スティーブ氏を語る上で外すことができない事柄として、パンクロックに影響を受けたスタイルと、体中にタトゥーの入っている事でも有名です。”YO-YO MAN”と書かれた左腕だけでなく、各所にヨーヨー関連のタトゥーが。後頭部にもヨーヨー マスターロゴのタトゥーが入っています。過去にはモヒカン姿がトレードマークでしたが、ボーズ姿を経て、現在はもっさりと蓄えられたヒゲが印象的です。少し強面の出で立ちですが、性格は気さくで良い人。世界中のヨーヨー関係者と交流があり、ヨーヨー界に欠かす事のできない存在です。

主なタイトル:
2017年世界大会 40歳以上部門 優勝
2016年世界大会 40歳以上部門 準優勝
2007年世界大会 AP部門 3位
2007年世界大会 5A部門 12位
2001年BAC 1A部門 優勝
2000年世界大会 X部門 5位
2000年BAC 1A部門 優勝
1999年BAC 1A部門 優勝
1998年世界大会 シングルA部門 4位
1997年世界大会 シングルA部門 3位

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この記事を書いた人

1997年のハイパーヨーヨーブーム初期からヨーヨーを続け、幅広い交友関係を持つ。ヨーヨーコレクター。元チームヨーヨージャムメンバー。2003年世界大会3A部門準優勝。上野ヨーヨー練習会主催者。音楽と散歩が好きでのほほんとした性格だが、一人でふらっとどこへでも、神出鬼没に日本各地や海外にも出向く行動派。あだ名は「アル」もしくは「アルちゅん」。

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