More from: ヨーヨープレイヤー紹介

【ヨーヨープレイヤー紹介#013】ドクター・ポピュラー (Doctor Popular)

Photo by ©DocPop

■ドクター・ポピュラー (Doctor Popular)

アメリカ合衆国テネシー州出身。本名ブライアン・ロバーツ。一般的にはニックネームの「ドクター・ポピュラー (Doctor Popular)」、もしくは略称の「ドックポップ (DocPop)」と呼ばれる。多才なことで知られ、サンフランシスコを拠点にパフォーマー、ミュージシャン、デザイナー、漫画家、その他クリエイターとして多岐にわたる活動をしている。

トリックイノベイターとして多くのトリックを世に生み出してきた。代表的なトリックとして、ジャイロ、ウォッシング・マシーン、そしてモービアス(フィンガーホールを外して行うスタイル)などを開発している。ミネソタ州に住んでいた頃からその才能を開花させ、2000年の世界大会X部門では3位に入賞、翌2001年の全米大会ではTrick Innovator of the Yearを受賞している。コンテスタントとして積極的に大会に出場するほうではないが、彼のトリックにインスパイアーされたプレイヤーは多く、2000年以降のヨーヨー界において、トリック開発の分野では欠かせない存在となった。

ヨーヨーメーカーからの信頼も厚く、フラットな立ち位置で様々なメーカーと親交があり、これまでにヨーヨージャム、バズオン、スピンタスティクス、C3ヨーヨーデザインといったメーカーとコラボモデルを共同開発している。また、最近では自身のオリジナルブランドも立ち上げている。

主なタイトル:
2007年 カリフォルニア州大会5A部門 3位
2006年 ベイエリアクラシック1A部門 12位
2004年 全米大会 5A部門 5位
2001年 世界大会 X部門 11位
2000年 世界大会 X部門 3位


【ヨーヨープレイヤー紹介#012】テッサ・ピッチロ (Tessa Piccillo)

Photo by ©CLYW

■テッサ・ピッチロ (Tessa Piccillo)

1996年10月15日生まれ。アメリカ・カリフォルニア州出身の女性プレイヤー、テッサ・ピッチロ選手は、2009年7月にヨーヨーを始め、主に1Aプレイヤーとして頭角を現わしてきました。2011年~2012年頃、チームヨーヨージャムの“JD”ことJohnnie Delvalle選手によって見い出され、JDのアプランティス(子弟制度の弟子)としてチームヨーヨージャムに加入。2013年にはプロチームに昇格。ヨーヨージャム後期を代表するプレイヤーとして活躍し、自身のシグネチャーモデル「トランセンド」もリリースしています。

2015年末、ヨーヨージャム活動終了に伴いフリーとなり、その後カナダのヨーヨーメーカーCLYWのチームに加入しました。CLYWからもシグネチャーモデル「コディアック」をリリースし、CLYWでは珍しいインナーバイメタルモデルとして人気を集めました。テッサ選手自身も世界大会の女性部門で優勝するなど、名実共にスター選手の仲間入りを果たしました。2015年の世界大会と、2016年に東京で開催されたTHROWDOWN!出場のために二度来日経験もあります。

主なタイトル:
2019年 世界大会 女性部門 3位
2017年 世界大会 女性部門 優勝
2016年 世界大会 女性部門 2位
2016年 ベイエリアクラシック 1A部門 20位
2016年 PNWR 1A部門 25位
2016年 EYYC 女性部門 優勝
2015年 ラスベガスオープン 1A部門 14位
2015年 世界大会 女性部門 7位
2015年 ベイエリアクラシック 1A部門 20位
2014年 世界大会 女性部門 優勝
2014年 ベイエリアクラシック 1A部門 12位
2014年 全米大会 1A部門 13位
2014年 カリフォルニア州大会 1A部門 16位
2013年 MWR 1A部門 3位
2013年 ベイエリアクラシック 1A部門 20位


【ヨーヨープレイヤー紹介#011】山本 淳也(ヤマモトジュンヤ)

■山本 淳也(ヤマモトジュンヤ)

兵庫県出身。10月23日生まれ。2000年代中頃に活躍した2Aプレイヤー。
こう言ったら失礼かもしれないが、実力に対して知名度は低い。しかし、現在活躍している2Aトッププレイヤー達も一目を置く存在で、知る人ぞ知るトップレベルのプレイヤーであることは間違いない。
個人的にも物凄く好きなプレイヤーの一人で、YouTubeにある数少ない彼のビデオを定期的に観ている。下の方に動画を貼っておくのでぜひ観てほしい。

まずトリックがキレイ。ループもラップも軌道が安定していて、ストリングの残像さえもコントロールしているかのようなトリックさばきは見惚れてしまう。
絶賛されるもうひとつの理由は、純粋にテクニカルなことだ。専売特許のようなループコンボは、2Aをやらない・詳しくない人でも思わず歓声を上げてしまうほど。ただ上手いだけでなく、肩の力を抜いて難しいトリックを軽々とこなし、どこか優しい雰囲気のあるフリースタイルは彼にしかできないものだろう。

そんな希有なプレイヤーだが、数年前に大きな事故に遭い、ヨーヨーをするのもままならないようになってしまった。
現在はリハビリをがんばっているようなので、無理せず…でもまた彼のフリースタイルが観たい!と、いちファンとして応援している。

主なタイトル:
2006年 セントラルジャパンヨーヨーコンテスト 2A部門 優勝
2005年 世界大会 2A部門 4位
2005年 全国大会 2A部門 5位
2005年 ウエストジャパンヨーヨーコンテスト 2A部門 2位
2004年 ウエストジャパンヨーヨーコンテスト 2A部門 2位


【ヨーヨープレイヤー紹介#010】YukkiYOYO(鈴木幸宏さん)

■YukkiYOYO(鈴木幸宏さん)

本名、鈴木幸宏(スズキユキヒロ)。1985年9月1日生まれ。神奈川県横浜市出身。ユッキーの愛称で親しまれ、ステージネームではYukkiYOYOと呼ばれていました。
1997年~のハイパーヨーヨーブームでヨーヨーを始め、1999年1月に開催された第4回ジャパンチャンピオンシップ関東大会チームプレイ部門では「じっくりコトコトにこんだチーム」のメンバーとして出場し優勝。以降はソロでコンテストに出場するように。短いストリングでループ系トリックを流れるように繰り出すスタイルが評価され、国内トップクラスの実力者として全国的にも名が知れ渡るようになっていきます。そして、2002年に開催されたUTYJ Yo-Yo Competition vol.04 National(全国大会)AA部門で優勝。2002年にアメリカの老舗ヨーヨーブランドYOMEGAのスポンサーチームに加入し、同年の世界大会では準優勝、翌2003年世界大会は3位入賞と、競技プレイヤーとして輝かしい成績を残しますが、この頃からパフォーマンスに重きを置くようになります。

高校在学中に大道芸を始め、地元横浜でヨーヨーパフォーマーとしての経験を積んでいきます。高校卒業後、単独フランスへ渡り、CNAC(フランス国立サーカス学校)に入学。ヨーヨーメインの人としては史上初でした。言葉もわからないフランスで一人、日々鍛錬を繰り返す毎日。計り知れない忍耐力と努力で学校を卒業し、一人前のパフォーマーへと成長していきます。技術・表現力共に突き詰めた彼のことを、人々は次第に「ヨーヨーパフォーマー」ではなく「ヨーヨーアーティスト」と呼ぶようになります。YukkiYOYO自身は「おもちゃ」として始めたヨーヨーがいつしか、己の世界観を表現する手段となり、まさにアーティスト(芸術家)として評価されるようになりました。フランスを中心にヨーロッパ各地のサーカス、劇場、キャバレーなどで活躍するようになり、ヨーヨーのパフォーマンスを生業とする人としては先駆者となっていました。

フランスでのYukkiYOYOの活躍や暮らしぶりは、『パリでメシを食う。』(川内有緒著/幻冬舎文庫)で「孤高のヨーヨー・アーティスト」として詳しく書かれています。彼の心の内側や、物事に対して純粋な気持ちで向き合っていく姿は、そのままパフォーマンスの世界観へと繋がっている気がします。アクロバティックな動きをしながらも、とても繊細で、人も空気も巻き込んでいくような演技は、今でも彼にしか作ることのできない世界だったと思います。

YukkiYOYOは『ジョジョの奇妙な冒険』が好きで、「ジョジョ立ち」というポーズを外国の行く先々で人に教えていました。そのため、彼の写真はジョジョ立ちをしていることが多いです(笑)
そういった所でも、人への影響力があった人物だったことが伺えます。

2012年6月27日、公演先のドイツで不慮の事故により逝去。26歳という若さでした。
亡くなる数日後に開催された日本の全国大会に来場予定でしたが叶わず、同大会の会場のステージ横には彼の写真が飾られ、黙祷が捧げられました。その年の世界大会のパンフレットにも訃報が書かれ、YukkiYOYOと仲の良かったブラジルのラファエル・マツナガさん(2002年5A世界チャンピオン/ナショナルヨーヨーマスター)がメッセージを寄せています。

個人的には付き合いが長く、いろんなことが思い返されます。2010年にフランスまで会いに行ったこともありますが、フランスの全国大会で会ったのが彼との最後でした。

今日6/27はYukkiYOYOの命日です。亡くなってから丸8年。今でも亡くなったことが信じられません。今でも彼はどこかで生きてるんじゃないかという気さえします。

ご冥福をお祈りすると共に、彼が天国でも笑顔でヨーヨーをしていることを願います。


Photo by ©Nana

 

主なタイトル:
2004年 全国大会 2A部門 3位
2003年 世界大会 2A部門 3位
2002年 世界大会 2A部門 2位
2002年 UTYJ vol.04 ファイナル(全国大会) 2A部門 優勝
2001年 UTYJ vol.04 東京大会 2A部門 優勝
2001年 UTYJ vol.03 ファイナル(全国大会) 2A部門 4位
2000年 UTYJ vol.03 東京大会 2A部門 優勝
2000年 第6回ジャパンチャンピオンシップファイナル フリースタイル部門 5位
2000年 第6回ジャパンチャンピオンシップ関東大会 フリースタイル部門 2位
1999年 第4回ジャパンチャンピオンシップファイナル チームプレイ部門 3位
1999年 第4回ジャパンチャンピオンシップ関東大会 チームプレイ部門 優勝


【ヨーヨープレイヤー紹介#009】アレックス・ガルシア (Alex Garcia)

■アレックス・ガルシア (Alex Garcia)

第1期ハイパーヨーヨーブーム時に、中村名人と並ぶ人気プレイヤーだったアレックス・ガルシア氏。本名、Greg Alexander Garcia。ハワイ州ホノルル出身。1983年3月16日生まれで、ヨーヨーを始めたのは1995年。1996年にTHP(チームハイパフォーマンス)が結成された時からの創設メンバーであり、初代キャプテンを務めていました。
1997年からはハイパーヨーヨーのプロモーションで何度も日本に来日し、全国各地をツアーで周ってデモンストレーションを行ったり、雑誌やテレビ出演などをこなす多忙な日々を送っていました。アメリカに帰国する際には大量のミニ四駆をお土産に買って帰ったという逸話も残っています。

ヨーヨーを始めた年のハワイ州大会で優勝した後、1996年全米大会フリースタイル部門(当時は1Aや2Aといった部門の分け方ではなくて、規定トリック部門とフリースタイル部門という分け方でした。)でも優勝し、メディア出演時には「全米フリースタイルチャンピオン」というタイトルと共に紹介されることが多かったです。世界大会では1997年に準優勝という結果を残し、翌1998年全大会では再びチャンピオンへと返り咲いています。
スピードプレイを得意とし、1Aでも2Aでもダイナミックかつ高速にトリックを繰り出す姿に憧れた人も多かったと思います。その素早いヨーヨーさばきから「WARP SPEED」の異名を持っていました。(ブーム当時、”WARP SPEED”という曲もCDでリリースされていました!)

名実共にトッププレイヤーだったアレックス氏ですが、1999年の世界大会を最後にヨーヨーを一時辞めてしまいます。
それから10余年の2011~2012年頃、ヨーヨーファクトリーのサポートの元、ハワイで「YoYoFactory808」というヨーヨー教室を開催し始めます。2012年の全国大会(ジャパンナショナルヨーヨーコンテスト)では、スペシャルゲストとして数年ぶりに来日し、その頃リリースされたヨーヨーファクトリー「ループ808」を使ってフリースタイルを披露しています。ハイパーヨーヨーで育って来た世代にとっては感慨深く、少年時代に戻ったようなひと時となりました。現在はヨーヨーで勢力的な活動はしていないようですが、いつの日かまた彼のプレイが観られる日が来ると良いですね。

主なタイトル:
1998年 全米大会 2A部門 優勝
1998年 世界大会 2A部門 4位
1998年 ハワイ州大会 2A部門 優勝
1997年 全米大会 2A部門 3位
1997年 世界大会 2A部門 2位
1997年 ハワイ州大会 プロ-アマ部門 優勝
1997年 Yo For It コンテスト 優勝
1996年 全米大会 フリースタイル部門 優勝
1995年 ハワイ州大会 優勝


【ヨーヨープレイヤー紹介#008】ブレント・デリンジャー (Brent Dellinger)

■ブレント・デリンジャー (Brent Dellinger)

アメリカ・カンザス州ウィチタ出身のブレント・デリンジャー選手は、HPK(ハイパフォーマンスカイト)のヨーヨープロモーションをきっかけにヨーヨーを始め、地元のヨーヨー仲間であるCody TaylarやDonald Wilsonらとチームトルネードを結成。以降、技を磨きつつ、パフォーマンスやティーチングなども精力的に行っていきます。意外かもしれませんが、THPの緑色のユニフォームを着てデモンストレーションをしていた時期もありました。毎週のように行っていた各地のパフォーマンスでは、専門の1Aだけでなく、2Aや4Aも披露していたそうです。ブレント選手のお兄さんはボートレースの選手としてアメリカでは有名な方で来日経験もあります。そんな兄の背中を追うように、自身もヨーヨーの世界でトッププレイヤーへと駆け上がっていきます

ブレント選手の名前が知れ渡るようになったのは2000年。MWRとMARというアメリカの2つの地区大会で優勝、そして全米大会では準優勝を果たします。翌年もその勢いのままBACで準優勝、世界大会では5位、全米大会では最後に鳩を出すパフォーマンスを披露し準優勝という結果に。さらにその翌年、2002年春には来日を果たし、UTYJ(全国大会)で準優勝。その時に使用していたヨーヨージャムの「ナイトムーブズ」は、当時のプレイヤーにとっては衝撃を受けるほどの評判に。後に彼のシグネチャーモデルとなる「スピンマスター」「スピンマスター2」「スピンマスター3」のベースとなったヨーヨーでもあります。(スピンマスターは、2018年にiYoYoから「スピンマスターX」としてリファインされたものが発売されます。)そして、2002年全米大会、ついに念願の全米チャンピオンに輝きます。その後も数々の大会で活躍しますが、2005年に選手としては引退してしまいます。

2000年代前半、ヨーヨージャムが世界中にユーザーを獲得していく中で、チームヨーヨージャム(同社のスポンサードチーム)の存在は非常に大きかったと断言できます。チーム初期の看板プレイヤーは、間違いなくブレント選手だったと言えるでしょう。”スピンマスター”の異名を持ち、ユーロビートに合わせてスピーディーにトリックを繰り出していくブレント選手のスタイルは、後にチームヨーヨージャムに加入するHiroyuki氏(現sOMEThING / freshthingsオーナー)や、多くのプレイヤーに影響を与えました。オリジナルトリック「ブレント・ストール」や「D3(ディースリー)」も有名です。
2015年にヨーヨージャムが活動終了を宣言した際、ブレント選手はヨーヨージャムにとって大きな財産だったと語っています。それはヨーヨージャムにとってだけでなく、世界のヨーヨー業界にとっての財産だったと言えるほど、影響力のあるカリスマ的なプレイヤーだったと思います。

主なタイトル:
2005年全米大会 1A部門 8位
2004年全米大会 1A部門 9位
2003年全米大会 1A部門 3位
2003年世界大会 1A部門 2位
2003年ベイアリアクラシック 1A部門 2位
2003年MAR 1A部門 2位
2002年全米大会 1A部門 優勝
2002年UTYJ vol.4 1A部門 2位
2001年全米大会 1A部門 2位
2001年世界大会 1A部門 5位
2001年ベイアリアクラシック 1A部門 2位
2000年全米大会1A部門 2位
2000年MWR (Mid West Regional) 1A部門 優勝
2000年MAR (Mid America Regional) 1A部門 優勝


【ヨーヨープレイヤー紹介#007】ハンク・フリーマン (Hank Freeman)

Photo by ©Rafael Matsunaga

■ハンク・フリーマン (Hank Freeman)

1A~5A部門の各部門で、海外の有名プレイヤーを挙げて行ったら、3Aプレイヤーでは間違いなくハンク・フリーマン(Hank Freeman)選手の名前が挙がるでしょう。アメリカ・オハイオ州(ダンカンの本社がある場所)出身の3Aプレイヤーであるハンク選手は、地元がダンカンのお膝元ということもあり、ダンカンヨーヨーと共に成長してきました。そして、ダンカンクルー(現チームダンカン)の初期メンバーであり、唯一の3Aプレイヤーとしてクルーの一端を担ってきました。

あまり知られていませんが、2002年頃から数年間、あまり表舞台に表れない時期がありました。彼が有名になり始めたのは2000年代後半。まだまだ未開拓な3A部門において、自分のスタイルを貫きながらも新しいトリックにも挑戦していくハングリー精神で、全米大会や世界大会の上位に入賞するようになっていきます。そして2011年~2013年には世界大会3A部門で優勝(三連覇!)という輝かしい結果を残しています。ハンク選手を見て3Aを始めたというプレイヤーも多く、現役世界チャンピオンの三浦元選手も憧れていたという、3Aのレジェンドです。

ダンカン時代にはトライアンフとフリーバードというシグネチャーモデルがリリースされましたが、ダンカンを去った後に、同じダンカンクルーのメンバーだったドリュー・テッツ選手と共に44RPMを立ち上げ、リズム、オシレーターといったシグネチャーモデルをリリースしています。また、彼の人柄の良さやコミュニケーション能力の高さもあり、所属メーカー、国籍、年齢等に関係なく交友関係を持ち、彼のファンだと言う人は世界中にいます。チェコに住んでいた時期もあったり、現在はタイに移住していたりと、文字通り世界を股にかけ、自由に、マイペースに生きるライフスタイルが人を惹きつけるのかもしれません。来日経験も何度もあるため、日本人にとっても馴染みのあるプレイヤーの一人です。

主なタイトル:
2016年全米大会 3A部門2位
2016年世界大会 3A部門5位
2015年世界大会 3A部門3位
2015年ダンカン国際オープン 3A部門優勝
2014年ラスベガスオープン 3A部門優勝
2014年ダンカン国際オープン 3A部門優勝
2014年世界大会 3A部門2位
2013年世界大会 3A部門優勝
2012年世界大会 3A部門優勝
2012年トリプルクラウン ダブルヨーヨー部門優勝
2011年44CLASH X部門2位
2011年全米大会 3A部門優勝
2011年世界大会 3A部門優勝
2010年44CLASH X部門9位
2010年全米大会 3A部門優勝
2010年世界大会 3A部門3位
2009年全米大会 3A部門優勝
2008年世界大会 3A部門3位
2007年世界大会 3A部門4位
2001年AAAスローダウン 優勝
2001年ミッドアトランティックリジョナル 2A部門優勝


【ヨーヨープレイヤー紹介#006】ユウキ・スペンサー (Yuuki Spencer)

Photo by ©CLYW

■ユウキ・スペンサー

2002年・2008年の二度世界を制している1A部門世界チャンピオン。アメリカ・ハワイ州出身。日本人とアメリカ人のハーフで、英語も日本語も話せるバイリンガル。ハワイを拠点に活動していたTHP(チームハイパフォーマンス)の後期メンバー(2000年に加入)で、ヨーヨー業界のプレイスタイルのトレンドが2Aから1Aに移っていく時期に1Aプレイヤーとして頭角を現しました。
ハワイ出身で世界チャンピオンにまで昇りつめた人と言えばエヴァン・ナガオ選手も同じ経歴を辿っていますが、年齢的にもキャリア的にもユウキ選手の方が先を行っているので、エヴァン選手はユウキ選手の影響を受け、後を追ってきたと言えるかもしれません。

ユウキ選手の影響力はとても大きく、世界で最も影響力のあるプレイヤーの1人と言っても過言ではありません。2002年世界大会で優勝した時は、いわゆるゴチャ系と言われる複雑なトリックを多用したフリースタイルで会場を沸かせました。「ユウキスタイル」とも呼ばれた彼のスタイルは、後にたくさんのフォロワーを生み、カリスマ的存在となりました。
5年後の2007年世界大会で再び世界チャンピオンへと返り咲き、技術が衰えるどころか健在であることを示しています。(この時なんと予選も1位通過していました!)使用していたヨーヨーファクトリーのヨーヨー「888」も、ユウキ選手使用モデルということで爆発的な人気となり、ヨーヨーのセールスにも影響を与えています。

初期のユウキ選手はダンカンのフリーハンドオリジナルを愛用し、2002年に世界チャンピオンになった際にも使用していましたが、ダンカンクルーに加入することはなく、翌年チームヨーヨージャムに加入しています。その後のスポンサーチームはヨーヨーファクトリーを経て、現在はCLYWに在籍。YYFとCLYWでは自身のシグネチャーモデルもリリースされています。
オリジナルトリックが多いことでも有名なユウキ選手。彼の名前が付いた「ユウキ・スラック」等、今では定番になっているようなトリックをいくつも開発した功績が認められ、2005年にトリックイノベイター賞を受賞しています。
また、ヨーヨーだけでなく、アーケードゲーム「ストリートファイターIII」においても凄腕ゲーマーとして活躍し、その世界でも広く知られた存在です。

主なタイトル:
2014年 44CLASH 1A部門 3位
2014年 800YOYOCLASS Vol. 23 優勝
2012年 PNWR 2A部門優勝
2012年 ヴァージニア州大会 1A部門 優勝
2012年 カリフォルニア州大会 1A部門 優勝
2010年 全米大会1A 5位
2010年 世界大会 1A部門 4位
2010年 ベイエリアクラシック 1A部門 2位
2009年 全米大会 1A部門 優勝
2009年 SCR 1A部門 優勝
2008年 ベイエリアクラシック 1A部門 優勝
2007年 全米大会 1A部門 優勝
2007年 全米大会 4A部門 5位
2007年 世界大会 1A部門 優勝
2007年 ベイエリアクラシック 1A部門 優勝
2006年 全米大会 1A部門 4位
2006年 世界大会 1A部門 6位
2006年 ベイエリアクラシック 1A部門 3位
2005年 全米大会 1A部門 1位
2005年 全米大会 2A部門 7位
2005年 全米大会 4A部門 3位
2005年 世界大会 1A部門 2位
2004年 全米大会 1A部門 4位
2004年 ベイエリアクラシック 1A部門 優勝
2004年 世界大会 1A部門 3位
2004年 ハワイ州大会 1A部門 優勝
2003年 全米大会 1A部門 2位
2003年 世界大会 1A部門 4位
2003年 ベイエリアクラシック 1A部門 4位
2002年 全米大会 1A部門 3位
2002年 世界大会 1A部門 優勝
2001年 全米大会 1A部門 3位


【ヨーヨープレイヤー紹介#005】ジェントリー・スタイン (Gentry Stein)

ヨーヨープレイヤー紹介ブログ。
第4回のスティーブ・ブラウン氏の次は、チームヨーヨーファクトリーのジェントリー・スタイン選手です。

Photo by ©YoYoFactory

■ジェントリー・スタイン

これを書いている時点での現役世界チャンピオン、ジェントリー・スタイン選手は、アメリカ・カリフォルニア州チコ出身の1Aプレイヤーです。2014年にも世界大会で優勝しているので、5年ぶりに世界チャンピオンへと返り咲いた事になります。二度の世界チャンピオンに輝き、プラスチックのヨーヨー(リプレイプロ)で全米大会優勝という偉業も成し遂げているジェントリー選手。高身長で端正な顔立ち、クールで性格も良くてヨーヨーも上手い。まるで劣る部分のない天賦の才能がある人なのかと思われがちですが、実は陰で練習を惜しまない努力の人でもあります。2014年の世界大会前には日本に来日し、リワインドスタッフの城戸やC3の岩倉玲選手らと一緒に練習する日々を送り、納得がいくまでなんどもルーティンを通していました。大会に対する情熱と真摯な態度が、彼を世界チャンピオンへと導いたのかもしれません。

そんなジェントリー選手のヨーヨーキャリアは、出身地チコにあるチコヨーヨークラブ(全米ヨーヨー博物館が主催するヨーヨークラブ)から始まります。数々の有名プレイヤーを輩出してきた同クラブは三居くんのホームグラウンドでもあり、ジェントリー選手は三居くんの後輩・教え子のような存在でもあります。チコで腕を磨いたジェントリー選手は、三居くんにアドバイスを求めながら、やがて大会に出場するようになります。
そんな彼の将来性を見出したからなのか、あるメーカーから「うちのチームに入らないか」と声がかかります。そのメーカーとは、オレゴン州に拠点を置くワンドロップでした。あまり知られていませんが、一時期ワンドロップのチームメンバーとしてスポンサーされていたのです。しかし在籍期間は短く、その後ヨーヨーファクトリーへと移籍し、現在も在籍しています。おそらく多くの人は「チームヨーヨーファクトリーの絶対的エース」というイメージが強いかと思います。

アメリカの地方にある小さな町から始まり、大会で入賞するようになり、ワールドツアーで世界を周り、メディア出演なども経験し…やがて世界大会優勝をも成し遂げたジェントリー選手の成長は、まるでシンデレラストーリーのように語られます。
しかし、そこに至るまで順風満帆だったわけではなく、大会でライバルに負けたり、自分の力を発揮できないことも。ヨーヨーのフリースタイルはどうあるべきか、どうすれば勝てるのか、どうすればお客さんを楽しませられるのか、苦悩の末に導き出した答えをその時その時のフリースタイルで表現しながら、さらなる進化を求め現在進行形で奮闘しています。

ジェントリー選手の名前を有名にしている理由のひとつとして、彼のシグネチャーモデル「シャッター」が世界中で売られていることもあるでしょう。2013年リリースのシャッターは、2020年の今でも売れ続けている超ロングセラーな商品です。初めて手にするフルメタルヨーヨーがシャッターだと言う人はかなり多く、バインドヨーヨーの入門機種として、長く使える機種として、様々な層が愛用し、支持されています。その他にも「シャッターワイドアングル」「シャッターバイメタル」「リプレイ」といったシグネチャーモデルがあり、そのどれもがロングセラーとなっています。ジェントリー選手に憧れ、彼の監修モデルを買って練習し、大会を目指す…そんな子供たちが世界中にいること。その事実こそが彼の原動力になっているのかもしれません。

主なタイトル:
2019年全米大会1A部門優勝
2019年世界大会1A部門優勝
2018年全米大会1A部門2位
2018年世界大会1A部門7位
2017年全米大会1A部門2位
2017年世界大会1A部門3位
2016年全米大会1A部門優勝
2016年世界大会1A部門4位
2016年カリフォルニア州大会1A部門優勝
2016年PNWR 1A部門4位
2016年ヨーロッパ大会 1Aオープン部門優勝
2015年ラスベガスオープン 1A部門優勝
2015年全米大会1A部門優勝
2015年世界大会1A部門6位
2015年カリフォルニア州大会1A部門優勝
2014年全米大会1A部門2位
2014年世界大会1A部門優勝
2013年全米大会1A部門優勝
2013年カリフォルニア州大会1A部門優勝
2013年ベイアリアクラシック 1A部門優勝
2012年世界大会1A部門6位
2012年全米大会1A部門2位
2012年PNWR 1A部門優勝
2011年世界大会1A部門3位
2011年全米大会1A部門3位
2011年PNWR 1A部門優勝
2011年カリフォルニア州大会1A部門2位
2011年ベイアリアクラシック 1A部門優勝

【ヨーヨープレイヤー紹介#004】スティーブ・ブラウン (Steve Brown)

ヨーヨープレイヤー紹介ブログ。
第3回のラッキー・リー選手の次は、CLYWのスティーブ・ブラウン氏です。

Photo by ©cleveland2019.com

■スティーブ・ブラウン (Steve Brown)

フロリダ州ジャクソンビル出身のアメリカ人。1976年2月20日生まれ。ヨーヨープレイヤー/デモンストレーター/プロモーター/ジャッジ/オーガナイザーなど様々な立場で現代ヨーヨーの礎を築いたヨーヨー界の重鎮とも呼べる人物です。BACチャンピオン。ナショナルヨーヨーマスター。カウンターウェイト考案者。クリーブランド開催時の世界大会主催者。YoYoNews.comの共同設立者兼編集者。トリプルクラウンオブヨーヨー(大会)共同設立者。365yoyotricks発足・運営…など、肩書きだけで数多くあり、それだけでも、いかにヨーヨー界に貢献してきたかが伺えます。特に、自身が考案した「カウンターウェイトスタイル」をメジャーなものにし、5A部門創設というひとつの部門化にまで押し上げた人物として有名で、「スティーブと言えばカウンターウェイト」というイメージが強い人も多いはず。

古くはチームロッシ(アメリカのヨーヨーブランド/現在は活動終了)のプロモーターとして2年程活動したり、インフィニット・イリュージョン(アメリカのヨーヨーショップ/現在は閉店)で働く傍パフォーマーとしても飛び回り、ヨーヨーの「プロ」としての生活を送ります。そして、1999年9月1日から2006年4月13日まで、ダンカンの公式デモンストレーターとしてマーケティングとプロモーションを担当していました。全米中、そして世界中で活動し、当時のダンカンクルー(現チームダンカン)を率いていたダンカンの顔とも言える存在でした。また、フリーハンドをはじめ、数々のヨーヨーの開発にも携わってきました。ダンカン時代に日本への来日経験もあります。

ダンカンを去ったあとはヨーヨーファクトリーからスポンサーを受けながら活動の幅を広げ、上記に挙げたようなプロジェクトを次々と始めていきます。2003年のBAC(ベイエリアクラシック)で優勝(目隠しをした状態でのカウンターウェイトフリースタイル)したのを最後に競技プレイヤーとしては引退していましたが、2007年世界大会AP部門に突如出場し、フリフリのスカートを履いた演技が大きな話題に。それから10年後、2017年の世界大会40歳以上部門では優勝に輝いています。現在はヨーヨーファクトリーからCLYWに移り、オハイオ州クリーブランドに居を構え、子育てをしながらCLYWのマーケティングディレクターとして仕事を任されています。

スティーブ氏を語る上で外すことができない事柄として、パンクロックに影響を受けたスタイルと、体中にタトゥーの入っている事でも有名です。”YO-YO MAN”と書かれた左腕だけでなく、各所にヨーヨー関連のタトゥーが。後頭部にもヨーヨー マスターロゴのタトゥーが入っています。過去にはモヒカン姿がトレードマークでしたが、ボーズ姿を経て、現在はもっさりと蓄えられたヒゲが印象的です。少し強面の出で立ちですが、性格は気さくで良い人。世界中のヨーヨー関係者と交流があり、ヨーヨー界に欠かす事のできない存在です。

主なタイトル:
2017年世界大会 40歳以上部門 優勝
2016年世界大会 40歳以上部門 準優勝
2007年世界大会 AP部門 3位
2007年世界大会 5A部門 12位
2001年BAC 1A部門 優勝
2000年世界大会 X部門 5位
2000年BAC 1A部門 優勝
1999年BAC 1A部門 優勝
1998年世界大会 シングルA部門 4位
1997年世界大会 シングルA部門 3位