【4A】オフストリングの歴史(Dave Schulteさんの記事を岩倉玲さんが翻訳)

Dave Schulte

本記事は、1999年にDave Schulte(※1)がワールドヨーヨーマガジン第4号の為に寄稿したものです。
(※実際には第4号は発刊されず、お蔵入り記事になってしまいました)

 

岩倉玲さん(4A部門世界チャンピオン/C3yoyodesign所属)が「オフストリングの歴史・貴重な記録を、より多くの人に知ってもらいたい」という思いからDave Schulte氏本人に許可を得た上で翻訳を行い、登場人物や出来事等に注釈/補足説明を追加したものを、本ブログに掲載させていただいております。

 

オフストリングプレイの過去と未来

by. Dave Schulte

ここ数年でオフストリングプレイは一気にその広がりを見せましたが、実はかなり昔から存在したプレイスタイルでした。DUNCANが最初の木製バタフライ形状ヨーヨーをリリースした1958年には、何らかの形でオフストリングは存在していました。

Dale Oliver

かつてDUNCANデモンストレーターであったDale Oliver(※2)によると、当時のデモンストレーター達は「もう一歩未来に進んだトリック」に挑戦し合う事により、お互いを切磋琢磨していたそうです。

その「挑戦」こそが「オフストリング」でした。

このような初期の技術的な試みは、Ken Filary(※3), Dale Oliver,そしてバタフライ形状の考案者であるWayne Lundberg(※4)らによって行われていました。

(写真のButterflyは復刻版です)

彼らはストリングから離れたヨーヨーを前後に飛ばしながら、オフストリングキャッチを試みていました。
Daleによると、オフストリングは公共の場でのデモンストレーションや、ヨーヨープロモーションの一環として行われていたわけではなかったそうです。あくまで仲間内のチャレンジであり、ましてやこれを流行らせようとか、ヨーヨーの販売促進に繋げようとか、そういった意図は彼らにはありませんでした。しかし50年代後半のデモンストレーター達は、結果的に自分達が90年代後半のヨーヨーに対し大きなインパクトを与えるスキルを発展させていたとは、この時は夢にも思いませんでした。

近代におけるオフストリングの復活は、1990年、アリゾナ州ツーソンにさかのぼります。Dale Oliverは、彼が1950年代にやっていたようなオフストリングの基礎となる動きを、小人数のグループに対して披露していました。

PROYO I

その際、ヨーヨーはオリジナルプロヨー(※5)を使用していました。(筆者は1997年に彼がバイパーを使用して、当時とほぼ同じデモを行っていたのを見たことがあります。ボールベアリングはオフストリングプレイにおける大きな発展であり、1回のスローで多くのトリックが可能になりました。)

Jon Gates

そんなツーソンのメンバーの中に、特にオフストリングに興味を示した人物が居ました。彼の名前は「Jon Gates」(※6)。彼こそオフストリングを発展させた立役者の一人であり、多くのトリックを開発した人物です。

Jonは非常にクリエイティブなヨーヨープレイヤーでしたが、彼がオフストリングの持つ無限の可能性と出会ったとき、その本領を発揮し始めました。彼が最初にオフストリングにトライしたヨーヨーは、プレイマックス社のPremier Monarch(バタフライ形状のヨーヨー)でした。
彼はそのヨーヨーでもオフストリングをプレイできたとは言いましたが、オフストリングの性質上、多くのヨーヨーを壊してしまいました。床に当ててしまう事は勿論、部屋にあった他の物については言うまでもありません…。
柔らかいゴムラバーを持ったヘンリースバイパー(※7)の登場はこの状況を大きく変えました。難しいトリックの発展・技の習得をより安全に行えるようになったのです。

不可能に思えるようなヨーヨーの動きを発見する場面に、Jonと私は何度も立ち合い、そしてそれらの動きを実現させてきました。Jonと私が最初にオフストリングを始めたときは、「1スロー目にスローダウンを行い、次のスローでオフストリングトリックに移行する」だとか、「数分間キャッチせずにリジェネレーションが出来る」なんて全く考えられませんでした。リジェネレーションは間違いなくオフストリングの未来であり、それを見るのも、プレイするのも、非常にエキサイティングなトリックジャンルです。

John Higby

ちなみに、この電話でのインタビュー中、Jonは彼の知っているトリックのほとんどは、John Higby(※8)との共同開発によるものだとも言っていました。何時間も一緒にオフストリングをプレイしつつ、二人でアイディアを出し合い、トリックの開発・試行錯誤をしました。お互いに向上心を持ち、同時に楽しんでいました。

Jonと私はTeam Hyper Viper(THV)(※9)ツアーという形で日本に派遣されました。このツアーは、ヘンリースのハイパーバイパー(※10)のプロモーションとして行われました。
我々はそれぞれ違うチームとして派遣されましたが、Jonも私も、役割としてはオフストリングがメインでした。デモで披露されたトリックは検討された結果、コロコロコミックという書籍で紹介されました。コロコロコミックは日本で大きなシェアを有しており、ハイパーバイパーを使ったオフストリングのプロモーションに大いに役立ちました。
私のツアーは全て南日本(大阪・福岡の2都市)で行われ、それらは数千人が観覧する非常に大きなイベントでした。イベント以外の日程においては、主要な販売店でデモとティーチングを行っていました。
この時Jonも日本のいたるところにプロモーションで回っていましたが、ほとんどの時間を東京、もしくは首都圏で過ごしていました。彼もまた、何万人もの参加者がいた全国イベントに参加していました。
このツアーの最高の思い出、それはJonと私で共通しており、「ヨーヨーに夢中になっている全ての子供たちに出会えた事」です。

私は、オフストリングヨーヨーがまだ日本の子供たちにとって比較的新しかったタイミングで、日本のツアーへ行くことができました。日本の子ども達に、基礎的な技から高度な技まで教える事が出来ました。何人かの子供たちとは、Jonについて、またJonが彼らに教えたトリックについて話すこともできました。ヨーヨーデモンストレーターたちが世界中で行ってきた活動の影響を見られるのは、本当に素晴らしい事です。
日本ではDale Oliverもタイガーシャークを使ってオフストリングを披露していました(※11)。東京の新聞の一面に、有名な4/4のイベント(※12)でビハインド・バック・トラピーズキャッチをしている彼の写真が掲載されました。

JonとDaleと話すとき、我々全員、世界中でプレイされているオフストリングのレベルにいつも驚かされています。そして我々の日本での活動の影響から、チームオフストリング(オフストリングに特化した日本のヨーヨーチーム)(※13)が結成されました。彼らは素晴らしく、これまでのデモンストレーターたちが行ってきた基礎を取り入れつつ、それらを新しいレベルに引き上げています。

Team Off String

私が学校で教師をしていた際に(※14)得た言葉で、「教師にとっての目標であり、最高の報酬とは、生徒が教師を超えるのを見る事だ」というものがあります。
この言葉に沿うのであれば、我々は全員、最高の成功を得られたと感じます。

1998年、チコで開催された全米大会において、Sky Kiyabu(※15)はフリースタイルの大部分のパートでオフストリングを披露した最初の人物になりました。
卓越したステージプレゼンテーションと革新的なトリックで、彼は見事A部門(※16)のチャンピオンに輝き、構成の終盤はバイパーを使用したトリックを披露しました。

ハワイで開催された1999世界大会でも、ミイヒロノリ(※17)がバイパーを使用してA部門の準優勝に輝きました。彼のフリースタイルは全てオフストリングプレイで構成されており、観客を驚かせました。音響トラブルにより演技時間が短くなってしまいましたが、もしそれがなければ優勝していたかもしれません。コンテスト結果が出る前に、ヒロノリは運営側からもう一度正しい演技時間でフリースタイルをするかの確認を受けましたが、真のスポーツマンである彼は、その提案を断り、そのままの結果を受け入れました。

1999年の全米大会では、ある実験的な部門においてオフストリングトリックが規定トリックとして含まれていました。この部門は「X部門」と呼ばれ、最先端のヨーヨープレイや、逸脱した難易度を持つトリックを披露する部門でした。残念ながら競技参加者はエントリーの際、X部門か、従来の他の部門かどちらか一方のみを選択しなければならなかったので、X部門は開催に必要な人数を集める事ができませんでした。恐らく将来的には、X部門のトリックが従来のトリックと融合し、シングルA部門のチャンピオンになるにはオフストリングが必要不可欠な要素となるでしょう。

ミイヒロノリも全米大会へ参加しましたが、アメリカの市民権を有していない為、競技参加はできませんでした。しかし、観客の為に素晴らしいオフストリングデモを披露してくれました!本当に素晴らしいデモンストレーションであり、彼はオフストリングの限界を新たなレベルに引き上げました。

ヘンリース・バイパーの登場により、オフストリングはアメリカ、そして世界中で大きな復活を遂げました。柔らかいボディと広いギャップのおかげで、プレイヤーはオフストリングという驚くべきトリックに、安全に挑戦することができるようになりました。

多くのトリック名や手順は通常のヨーヨートリックと類似しています(ブレインツイスター、トラピーズ、ブランコ、等)。しかしスーサイドやウィップキャッチ等のディアボロスタイルトリックも追加されました。簡単で初心者にも出来るトリックでありながら、挑戦的・難易度的要素が加えられ、そして楽しいトリックたちです。

1958年にDUNCANが木製のバタフライを発売してから、長い道のりを我々は歩んできました。ヨーヨーをストリングから外すなんて考えられないことでしたが、しかし今日、ヨーヨーをストリングから外す事が考案されただけでなく、それは情熱となっています。

あなたに残されたやるべきこと、それはオフストリングスに挑戦する事だけです!


 

※1.Dave Schutle:ナショナルヨーヨーマスターの1人。Team High Performanceメンバー。98年からDazzling Daveとしてアメリカ各地でヨーヨーのデモンストレーションやティーチングを行い活躍しているプロヨーヨーパフォーマー。IYYFオフィシャルジャッジとして全米・世界大会でのジャッジも行う。
http://www.dazzlingdave.com/

※2. Dale Oliver:ナショナルグランドマスターの1人。ヨーヨー/スキルトイブランド「スピンタスティクス」の創業者、AYYA(アメリカヨーヨー協会)、及び近代ヨーヨー世界大会の創設者。1992年世界チャンピオン。
https://www.scienceofspin.com/home.html

Bob Rule

※3. Ken Filary:1960年代に活躍したDUNCANデモンストレーター。DUNCANデモンストレーター最初期メンバーのひとりであるMr.YoYoことBob Ruleからは「今まで会った中で、最も綺麗にヨーヨートリックを行う人物」と評された。ラッセルヨーヨーを使ったCoca Colaのプロモーションにも参加しており、16の国と地域をヨーヨーデモンストレーターとして飛び回った経歴を持つ。

※4.Wayne Lundberg:1960年代に活躍したDUNCANデモンストレーターであり、バタフライ形状の考案者。彼のアイディアを元に、DUNCAN社から1958年に木製ヨーヨー、「Butterfly」が発売された。

※5. Original ProYo:Playmaxx社から1976年発売された、木製アクセル/プラスチックボディのヨーヨー。通称「ProYoI」。

※6.Jon Gates:1993年,1994年,世界大会準優勝。記事中にあるように、オフストリングの基礎を作った人物であり、オフストリングのワインドアップ(オフストリング状態で回転しているヨーヨーを手に戻す動作)を世界で初めて成功させた。スピントップの名手としても知られ、2008年の世界大会ではフリースタイル部門のチャンピオンに輝いている。

※7.へンリースバイパー:ドイツのブランド、ヘンリース社製のヨーヨー。外周がゴムで覆われた形状は当時画期的であり、オフストリングの発展に貢献した。近年ではViperXL, Viper Neoとしてリバイバルされた。

※8.John Higby:2008年AP部門世界チャンピオン。アメリカで長年活躍しているプロヨーヨーパフォーマーであり、妻であるRebecca Higbyとのコンビ「YoYo People」としても活動を続けている。毎年静岡県で開催されるアジア最大の大道芸フェスティバル、「大道芸ワールドカップIN静岡」にも2度出場している。
https://www.yoyoshow.com/yoyoguy

※9. Team Hiper Viper:第1次ハイパーヨーヨーブーム時、BANDAIから発売された「ハイパーバイパー」をプロモーションする為に結成・来日したチーム。本稿に登場するJon Gatesや、筆者Dave Schutleを始め、Chriss Neff, Andrew Conde, Clif Coleman等、著名なメンバーが参加していた。THPとはテイストの違ったミステリアスで大人っぽい雰囲気、オフストリング、ロングストリングを使用したトリッキーな演技は、日本のヨーヨーシーンに大きな影響を与えた。

※10.ハイパーバイパー:※7のBANDAI OEM品。

※11.タイガーシャーク:バタフライシェイプ、金属ボールベアリング搭載のスピンタスティクス社を代表するヨーヨー。1990年代後半から2000年代初頭におけるA部門向けヨーヨーの代表格。1999年の全米大会と世界大会でJoel Zink選手が使用し、両大会で優勝を収めた。

※12.有名な4/4のイベント:1998年4月4日に開催された(株)BANDAI主催の全国大会、第2回 ハイパーヨーヨー・ジャパン・チャンピオンシップ。正確には4/4でのデモンストレーションの様子が朝日新聞の一面に掲載された。(本記事では敢えて英語原文に合わせた翻訳にしております)。

※13.チームオフストリング:通称TOS。オフストリングプレイをメインテーマとして結成され、1999年の世界大会チーム部門で3分間オフストリングのみの演技を披露。翌年2000年のチームプレイ部門では優勝している。

※14.教師をしていた際:Dave Schulteは大学卒業後、Technology Educationの教師として教鞭をとっていた。1998年のTHPツアーをきっかけに、ヨーヨープロへ転向。

※15. Sky Kiyabu:Team High Performance (THP)ハワイのメンバー。日本でのハイパーヨーヨープロモーションの際も登場の機会が多かったプレイヤー。1998年全米A部門チャンピオン。また1999年全米大会でのAAAスタイルを披露したデモや、ジターリングとヨーヨーを同時に使うトリックでも有名であり、かなり早い段階でエクストリームスタイルに着手していた人物。

※16.A部門:当時のコンテストレギュレーションにおいて、フリースタイル部門は
・A部門:1つのヨーヨーを使用する部門
・AA部門:2つのヨーヨーを使用する部門
の二つにカテゴライズされていた。
https://nationalyoyocontest.com/previous-results/

※17.ミイヒロノリ:JYYF(日本ヨーヨー連盟代表理事)。株式会社ヨーヨーカンパニー代表取締役社長。1999年の彼のフリースタイルをきっかけに、翌年からX部門が設立された。上述のチームオフストリングの設立メンバーでもあり、オフストリングを普及・発展させた最重要人物のひとり。


 

参考資料・協力:
The Past and Future Off String Yo-Yo Play By. Dave Schulte
Dazzling Dave National Yo-Yo Master(http://www.dazzlingdave.com/)
Duncan 80th Anniversary trading card

オフストリングの歴史(トリック編)へ続く!


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