【ヨーヨープレイヤー紹介#008】ブレント・デリンジャー (Brent Dellinger)

■ブレント・デリンジャー (Brent Dellinger)

アメリカ・カンザス州ウィチタ出身のブレント・デリンジャー選手は、HPK(ハイパフォーマンスカイト)のヨーヨープロモーションをきっかけにヨーヨーを始め、地元のヨーヨー仲間であるCody TaylarやDonald Wilsonらとチームトルネードを結成。以降、技を磨きつつ、パフォーマンスやティーチングなども精力的に行っていきます。意外かもしれませんが、THPの緑色のユニフォームを着てデモンストレーションをしていた時期もありました。毎週のように行っていた各地のパフォーマンスでは、専門の1Aだけでなく、2Aや4Aも披露していたそうです。ブレント選手のお兄さんはボートレースの選手としてアメリカでは有名な方で来日経験もあります。そんな兄の背中を追うように、自身もヨーヨーの世界でトッププレイヤーへと駆け上がっていきます

ブレント選手の名前が知れ渡るようになったのは2000年。MWRとMARというアメリカの2つの地区大会で優勝、そして全米大会では準優勝を果たします。翌年もその勢いのままBACで準優勝、世界大会では5位、全米大会では最後に鳩を出すパフォーマンスを披露し準優勝という結果に。さらにその翌年、2002年春には来日を果たし、UTYJ(全国大会)で準優勝。その時に使用していたヨーヨージャムの「ナイトムーブズ」は、当時のプレイヤーにとっては衝撃を受けるほどの評判に。後に彼のシグネチャーモデルとなる「スピンマスター」「スピンマスター2」「スピンマスター3」のベースとなったヨーヨーでもあります。(スピンマスターは、2018年にiYoYoから「スピンマスターX」としてリファインされたものが発売されます。)そして、2002年全米大会、ついに念願の全米チャンピオンに輝きます。その後も数々の大会で活躍しますが、2005年に選手としては引退してしまいます。

2000年代前半、ヨーヨージャムが世界中にユーザーを獲得していく中で、チームヨーヨージャム(同社のスポンサードチーム)の存在は非常に大きかったと断言できます。チーム初期の看板プレイヤーは、間違いなくブレント選手だったと言えるでしょう。”スピンマスター”の異名を持ち、ユーロビートに合わせてスピーディーにトリックを繰り出していくブレント選手のスタイルは、後にチームヨーヨージャムに加入するHiroyuki氏(現sOMEThING / freshthingsオーナー)や、多くのプレイヤーに影響を与えました。オリジナルトリック「ブレント・ストール」や「D3(ディースリー)」も有名です。
2015年にヨーヨージャムが活動終了を宣言した際、ブレント選手はヨーヨージャムにとって大きな財産だったと語っています。それはヨーヨージャムにとってだけでなく、世界のヨーヨー業界にとっての財産だったと言えるほど、影響力のあるカリスマ的なプレイヤーだったと思います。

主なタイトル:
2005年全米大会 1A部門 8位
2004年全米大会 1A部門 9位
2003年全米大会 1A部門 3位
2003年世界大会 1A部門 2位
2003年ベイアリアクラシック 1A部門 2位
2003年MAR 1A部門 2位
2002年全米大会 1A部門 優勝
2002年UTYJ vol.4 1A部門 2位
2001年全米大会 1A部門 2位
2001年世界大会 1A部門 5位
2001年ベイアリアクラシック 1A部門 2位
2000年全米大会1A部門 2位
2000年MWR (Mid West Regional) 1A部門 優勝
2000年MAR (Mid America Regional) 1A部門 優勝

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この記事を書いた人

1997年のハイパーヨーヨーブーム初期からヨーヨーを続け、幅広い交友関係を持つ。ヨーヨーコレクター。元チームヨーヨージャムメンバー。2003年世界大会3A部門準優勝。上野ヨーヨー練習会主催者。音楽と散歩が好きでのほほんとした性格だが、一人でふらっとどこへでも、神出鬼没に日本各地や海外にも出向く行動派。あだ名は「アル」もしくは「アルちゅん」。

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