こんにちは。
趣味は図書館の江戸・昭和コーナーにある歴史書物の中からヨーヨー関連の記述を探す事。
新入社員の岩倉です。
みなさん、この動画をご存知でしょうか。
タイトルは「Arthur Lang Yo-Yo Champion of the World 1930s」。
ヨーヨーチャンピオン「Arthur Lang」が次々にトリックを決めていく姿が収録されている、今から約90年前の映像です。
1930年代のヨーヨー動画は非常に珍しく、更にここまで様々なトリックが収録されているものは、個人的にはこの動画以外に見たことがありません。
インターネット上に存在する世界最古のヨーヨー動画のひとつと言われています。
「Arthur Langとは一体誰なのか?」「使用しているヨーヨーは?」「誰がどこで撮影した映像なの?」
個人的な調査欲が搔き立てられ、色々調べたところ大変興味深かったので、せっかくなのでブログ記事にさせて頂きました。
今から約90年前のヨーヨーにまつわるお話、良かったらお付き合いください。
披露されているトリック
まず動画中で披露されているトリックを見ていきましょう。基本的なブランコやスリーパーは勿論、ダブルループ、インサイド・ループ/リーチ・フォー・ザ・ムーン等、1930年代という時代を鑑みると非常に高度なトリックを決めています。しかも当時存在したのは木製のヨーヨーと綿のストリング。更に1928年にスリープするヨーヨーが一般的に登場してからたった数年の映像だとすると驚きです。
個人的に注目して欲しいのは0:37~のトリック。ヨーヨーをスリーパーさせ、逆乗せのエレベーターの状態を作り、利き手ストリングを下に引っ張る事でヨーヨーを手元に戻す動き。Thread the Needle(針の糸通し)と呼ばれるトリックで、50~60年代のDUNCANデモンストレーターがよく披露していたトリックのひとつです。
まずこのトリックが既に1930年代には確立されていたことに驚きました。更に構造的にはバインドの原型とも言えるトリックです。バインドが普及したのは2002年前後だと記憶していますが、そこから約80年前にはその技術的原型・要素があったことに個人的にはロマンを感じます。
ヨーヨーチャンピオン「Arthur Lang」?
この映像に映っている「Arthur Lang氏」は、果たしてどのような人物なのでしょうか。
と言っても約90年前の人物。wikipediaにも当然記事なんかありません。僕も全く聞いた事が無い人物でした。
そもそも相当古い資料。Arthur Langという名前すら合っていなくて実は別人では…?という疑問すら抱きつつ、Web上での情報や映像から確認出来るものを頼りに少しづつ調べてみました。
“My Gramps as world yo yo champion in the 1930’s in Bogner Regis, UK”
この動画の概要欄を確認すると、Arthur Lang氏はアップロード者の祖父にあたるようです。Bogner Regisはイングランド南岸の都市名でした。
まず、1930年代における公式な世界チャンピオンとして唯一認められているのはHarvey Lowe氏。1932年9月12日イギリスのエンパイアシアターで開催されたCheerio社主催の世界大会で優勝し、初代世界チャンピオンに輝きました。当時のHarvery氏の写真と見比べてみますが、やはり別人のようです。

(引用: https://yoyonews.com/)
実は当時、各ヨーヨーメーカーが独自に世界大会をプロモーション的に開催したため、World Champion と称される人物は何人も居たようです。例えば同じCheerio所属のJoe Young氏(当時Harvey氏のライバルとされ、同氏がチャンピオンとなった1932年世界大会準優勝の人物)も1933年の世界チャンピオンとして地元新聞紙(The Vancouver Sun)に掲載されたことがあります。

(引用: https://www.vancouverisawesome.com/)
この時点ではJoe Young氏が「Arthur Lang」として掲載されたのかな…?と思っていました。
99の数字が書かれたセーター
気になったのが彼の着ている服。「Yo-Yo 99」の文字がプリントされたセーター、どこかで見たことがありませんか?


Harvey Lowe氏が着ていた服とほぼ同じデザインです。Harvery氏は上述のようにCheerio社所属のデモンストレーターだったので、動画の人物もCheerio社に所属していたと推測されます。またCheerio社はカナダで設立された当時世界最大のヨーヨーメーカーのひとつでしたが、ヨーロッパでのプロモーションにも相当力を入れていました。当然イギリスでのプロモーションにデモンストレーターが派遣されていたことも想像できます。

(※引用: http://www.yoyomuseum.com/)

(※引用: http://www.yoyomuseum.com/)
ちなみに当時最もメジャーだったCheerio製のヨーヨーが「The Kitchner knobs Cheerio」。1931~1940年頃まで生産された、同社の代表的なヨーヨーです。裏面に「99」の文字が大きくデザインされており、デモンストレーター達が着用しているセーターのデザインはここに由来するものと思われます。このヨーヨーはCheerio社史においても最初期に生産したヨーヨーなので、動画で使用しているのも恐らくこのヨーヨーだと思われます(但し白黒映像&当時の映像画質なので細かい特定は難しく、もしかしたら別のヨーヨーかもしれません)。
動画の出展元「Bognor Regis Review of 1929-1930」
更に調べてみたところ、この動画はボグナー・リージス映画協会(地元のニュースや日常生活をテーマに映像制作を行っていたアマチュア映画協会の1つ)による制作であることがわかりました。
収録された作品名は「Bognor Regis Review of 1929-1930」。海辺の町であるボグナーでの様々な日常・地元のニュースが収録されており、Alan Cobham’s Air Circusによる航空ショー、来航したサーカス団、ジョージ5世とメアリー妃によるパレード等と共に、「Arthur Lang – the World Yo-Yo Champion」が映像として納められたと記録されています。

映像より抜粋(1)

映像より抜粋(2)

映像より抜粋(3)

映像より抜粋(4)
Bognor Regis Review – Screen Archive South East (22:56~)
https://screenarchive.brighton.ac.uk/detail/3167/
Theme Seaside
https://screenarchive.brighton.ac.uk/theme/Seaside/?page=28
映っていたのは間違いなくArthur Lang氏という事が確認できました。加えて個人的に一番驚いたのは1929~1930年に撮影された映像だという事。もし本当にその期間に撮影されたのならば、1928年にPedro Floresが世界初のヨーヨー製造会社「Yo-Yo Manufacturing Company」を設立してから、たった1、2年でこのレベルの技術体系が確立していた証左になります。当時のトリックブックや写真からダブルハンドルーピングの技術が存在していたことは知っていましたが、映像と共にここまで具体的な技術レベルを確認できたのは初めてです。更にそのレベルが非常に高かった事も含め、ヨーヨーの歴史を補完する為の非常に貴重な資料であると言えるのではないでしょうか。テンション上がってきた。
当時の新聞を調べる
当時の新聞を調べてみました。ヨーヨーデモストレーターとして、かなり活発に活動されていたようです。
またメキシコにもデモンストレーターとして訪問しており、なんと当時の現地新聞記事も出てきました。(記事がスペイン語だったので、チームヨーヨーファクトリー所属・2011&2013年メキシコチャンピオンPaul Kerbelに翻訳を協力してもらいました。ありがとう!)
欧州だけでなくメキシコでも活動を行うなど、当時のデモンストレーターの中でも特に顕著な活躍をしていたうちの一人だったのではないでしょうか。
そしてデモンストレーターとしての活動が落ち着いてから約15年後、Arthur氏は「National Children’s Day Committee」(全国子供の日委員会)の代表を務めることになります。そのインタビュー記事の内容(概要)がこちら。
ヨーヨーデモンストレーターとして世界中を飛び回り、ヨーヨーを通じて多くの子供たちと触れ合ってきた彼だからこそ、こういった活動を行うに至ったのかもしれません。
まとめ
・Arthur Lang氏は1930年代に活躍したCheerios社所属のデモンストレーター。
・自国カナダだけではなく、アメリカ大陸・ヨーロッパ大陸の各地をヨーヨーデモンストレーターとして駆け巡った。
・1929~1930年に撮影された映像だとするならば、ヨーヨー史における非常に貴重な資料。
・ヨーヨー活動から離れた後は、National Children’s Day Committeeの代表として子供たちの成長・教育をサポートする活動に邁進した。
いかがでしたか?
いかがでしたでしょうか。この動画の背景を知りたい!から、Arthur Lang氏というデモンストレーターの活躍や、1930年代当時のヨーヨー事情を知ることが出来ました。個人的には映像ソースを見つけられたのは大きな収穫で、1930年代初期のコンテスト内容についての理解を更に深める良いキッカケにもなりました。
大変マニアックな内容ではありましたが、今後もこんな感じのヨーヨー歴史ネタがあれば、記事にしたいと思います。Twitter等で感想等頂けると励みになりますので、もし良かったらお願いします。
参考・引用
- YoYoNews.com (https://yoyonews.com/)
- Vancouver Is Awesome (https://www.vancouverisawesome.com/)
- YoYoMuseum.com (http://www.yoyomuseum.com/)
- Screen Archive South East (SASE) (https://screenarchive.brighton.ac.uk/)
- Newspapers.com (https://www.newspapers.com/)
スペシャルサンクス
Paul Kerbel (Team YoYoFactory Mexico)
※この記事は資料に基づき独自に研究し、まとめたものです。正式な記録であることを保証するものではありません。