ヨーヨーアカデミー「ヨーヨー近代史 激動の競技運営。JYCC~JYYF編」

目次

以下内容まとめ

ヨーヨーアカデミー「ヨーヨー近代史 激動の競技運営。JYCC~JYYF編」

・2005~2009年ごろまでの話
・第二期ハイパーヨーヨーは終わったが、プレイヤーが激増し、ヨーヨーの世界は一気に加速
・大きな動きに付随して、内部は激動と言える時期

出展

JYCCホームページ
JYYFホームページ
団体代表ミイの話
その他有識者の話

2005年の時代背景

・第二期ハイパーヨーヨーの影響で参加者が増大
・全国大会会場は全館借りても収容人数MAXに
・競技会の重要度を再確認し、より団体として良いものにしていかないといけない
・しかし、運営部のメンバーにも自分の生活があり、手に余る可能性も
・やれる範囲で細々と続けるのか、プレイヤーの増加に合わせ大きな規模にしていくのか
・方針についても議論の絶えない時期

→そんな中、ヨーヨーの世界にとってプラスになる出来事が多数

たくさんのプロモーション

・2005年愛知万博「EXPOカップ」。ミイ君の親戚Nさんが主催
・YouTubeでYo-Yo Godがバズる。2005年世界大会優勝鈴木選手の演技動画
多数の人が影響されヨーヨーを始める。元動画は2019年に削除されている
・復刻コカコーラヨーヨー。コカコーラ製品のおまけでヨーヨーがついてくる
多少アップデートされたもの。全国のコンビニで販売。あるちゅんがデモ
・「スケバン刑事」新作映画
80年代に大ヒットしたドラマの新作映画。女子高校生刑事がヨーヨーを武器に悪を成敗するストーリー。ヨーヨーのプロが演技指導

多数のプロモーションが同時多発的に起こり、さらにヨーヨーをする人が増える。
→そんなころアメリカのミイくんの元に1本の連絡が

JASRACから連絡

・競技ヨーヨー大会での音楽利用について
・親戚のNさんとあるちゅんがJASRACオフィスで話を聞く
・2006年全国大会より音楽使用のガイドラインを変更
・わかってはいたが、より責任が強くなっていく

本当の意味で続けていける団体

・徐々に規模が大きくなり、知らなかったでは済まされなくなる
・外に出ても恥ずかしくない、社会的地位や権威がある、責任ある団体運営をより強く意識する
・経験ある小野さん、Nさんに相談し、形を整える

その決意で開催された

2006全国大会 横浜市教育会館

・今までの3倍以上の収容人数
・来場者は昨年の約2倍、350ー400人
・ステージもかなり大きくなり、スポンサー集めも本格化
・ヨーヨーって変わったんだな、ここまで来たんだなと感じました(当時関係者ではない)
→そしてここでいよいよ

JYYFの発表

・2020年現在の名前であるJYYF(日本ヨーヨー連盟)になることが発表される
・代表理事はBLACKさん
・地区大会も2007年から5地区に

→心機一転立派な団体を目指していこう!というところで多数のトラブルが起こる
その主な原因が

お金と噂

・スポンサーから賞品でなく現金でスポンサー費をもらうようになる。
・基本まだまだ好意のような中で回しているが、それでも予算の使い方で議論
・外部の人もお金の使い方に勝手な推測や口出しも

→インターネットであるものが普及

匿名掲示板

・切り取られた情報や憶測を事実のように書き込む
・過激な発言や人格攻撃も

特に噂になったエピソード

旅費使い込みの噂

・初の九州地区大会。運営メンバーも何人か予算で大会の運営に
・無事大会が終わった後「予算で温泉旅館で豪遊していた」という噂
・真相:会場近くの格安ホテルが無く、航空券とセットになったちょっと遠い安いホテルにたまたま温泉が。前日設営後、スタッフと食事をして遠いホテルに帰り、翌日も早いため温泉に入る余裕もなくバタバタとイベントへ
・切り取られた情報を鵜呑みにした人や、こういう噂が流れる事がもう信用無いってことでしょ?みたいな意見も
・実際は応援してくれる人や、協力してくれる人の方が多くとも、運営メンバーは疲弊
→そんな時に年長者の小野さんがこんな言葉を

自分が矢面に立つから、若い人は一度下がりなさい

・こういう悪口やスキャンダルが面白いのは一時だけ
・でも若い人たちにとって、この一時の時間は貴重
・こんな悪意に付き合うことはない
・将来はもっとたくさんの人が手伝ってくれたり、助けてくれるようになる
・だからそれまで、自分達年長者が矢面に立つ。批判を受けるところは全部引き受ける
・方針やコアな運営は全て任せる。だからやるべきことに集中しなさい
・今までもこういうことはあったが、逃げずに自分達が立ち向かわなくてはいけないと思って歯を食いしばって頑張っていた
・年長者が助けてもらっていい。ずっと辛いわけじゃないから頼って良いと言ってくれ、救われた
・JYYF代表理事に小野 恵二郎さん、運営委員も年長者の方が務める

・実質的な作業はそれまでの運営メンバーが集中して行う

→ここでまた日本の運営が世界に大きな影響を与える

世界大会の予選が1分フリースタイルに

・誰でも出場できる大会だけに、大勢を一気にふるいにかけれるため、これまでの世界大会の予選は規定トリック
・出場者のレベルが上がったため、規定もレベルが上がりすぎ、フリースタイルと別の技術が必要な程に
・日本はここに疑問を持っていたため、一貫して予選もフリースタイル
・数年にわたる粘り強い交渉と実績が認められ、世界大会も1分フリースタイル予選に

→そのころヨーヨー人口が増えてきた日本のヨーヨーシーンでこのようなことが起こる

ヨーヨーパフォーマー、国内ヨーヨーブランド、国内ヨーヨーショップが増える

・97年ハイパーヨーヨーでヨーヨーを始めた人はもうキャリアが10年を超えだす
・自身の興味・関心をヨーヨーに活かし、ヨーヨーで収入を得る人が増える
→他にもこんなことが

ヨーヨーイベントが増える

・自身で独自にイベントを開催する人も増える
・JYYFの活動を参考にイベントをする人もいれば、だからこそ全く別のイベントを開催する人も
→例:44クラッシュ
・ガチガチの競技だけがヨーヨーの魅力じゃない。もっとヨーヨーの「かっこよさ」「他の面白さ」に焦点を当てる
・活かすためにクラブで開催。海外からもゲストを呼ぶ、世界的にも注目を浴びる国際イベントに

→様々な形でヨーヨーに関わる人が増えたのがこの2005~2009年ごろ

まとめ

・2005年~2009年までを一気に解説
・内部でも出会いや別れを繰り返しながら前に進んでいった時期
・批判を真摯に受け止めることは必要だが、人間がやっている事を忘れているような中傷とも戦っていた
・もちろん応援してくれる人や、協力してくれる人の方が多かった。今も、そういう人たちのおかげで団体が活動で来ていると感じる
・そしてこのころには自分達の力で様々な活動をする人も増え、色々な道が拓けてきた
・個人の力で様々なことに挑戦できるほど、ヨーヨーの需要が国内において大きくなってきていた
・「ヨーヨーの仕事がしたい」という、97年の頃には子どものころの夢であり、まわりも叶うはずないと思いながら聞いていた夢を、自分の力で叶えることができるようになっていった。「ヨーヨーが業界に」なっていった時期
・他にもイベントも増え、ヨーヨーの世界が活気づいてきた時代

次回は2010年「第三期ハイパーヨーヨー」
第一期に次ぐ「ブームだった」と言える盛り上がりを見せたハイパーヨーヨーが登場

次回をお楽しみに

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